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【連載】上毛かるたの深掘り疑問に答えます!「KING OF JMK」代表・渡邉俊氏インタビュー(後編)

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群馬県民のDNAに刻まれた「上毛かるた」の謎に迫る本連載。大人の上毛かるた全国大会を主催する一般社団法人『KING OF JMK』代表・渡邉俊さんへの直撃インタビュー後編です! 後編では、ダイナミックな自然の歴史から、GHQの検閲をめぐる知られざる裏話、内部の人口変化、そして現代に生き続ける札の秘密まで、さらにディープな群馬の物語をひも解きます。

■ た・ち・つ・て・と | 時代と共に形を変える札と、命をかけた「義」の歴史

【た】滝は吹割 片品渓谷

  • Q. 吹割の滝はなぜ「東洋のナイアガラ」と呼ばれるようになったのですか?
  • 渡邉氏: 岩盤が割れた裂け目に水が猛烈に流れ落ちる独特の形状から、そう呼ばれています。ただ、本家のナイアガラのように「上から見上げる滝」ではなく、平らな岩盤が河水に侵食されてできた幅約30m、高さ約7mのV字型の裂け目に、水がグワッと“吸い込まれる”ように落下する、世界でも珍しい姿をしています。その豪快さと迫力は、まさに「東洋のナイアガラ」の異名にふさわしい、昭和11年に国の名勝・天然記念物にも指定された名瀑です。

【ち】力あわせる 二百万

  • Q. 今の群馬の人口とは違いますよね。人口が変わっても札を変えなかったのですか?
  • 渡邉氏: 実はこれ、2024年から「力あわせる百九十万」に変更されているんです! 昭和22年の制作当時は約160万人で、最初は「百六十万」でした。そこから人口の増減に応じて、10万単位で何度も改訂されて生き続けている非常に珍しい札です。ただ、数字が変わっても、一番大切なのは「力をあわせる」という部分。戦後の復興期から、県民が手を取り合って協力してきた精神を今に伝える、上毛かるたの象徴的な一枚です。

【つ】鶴舞う形の 群馬県

  • Q. 群馬の形を「鶴」と言い始めたのは誰で、いつ頃から定着したのですか?
  • 渡邉氏: 1900年(明治33年)に作られた『上野唱歌(こうずけしょうか)』という歌の冒頭にある「晴れたる空に舞う鶴の姿に似たる上野は……」という歌詞が最初だと言われています。この歌は戦後まで歌い継がれていましたが、実は戦時中、戦意高揚のために鶴の部分が“ワシ”や“タカ”に変えられていたという記録があります。終戦後、「一刻も早く県民の親しんだ『群馬の形=美しい鶴』のイメージに戻したい」という強い願いがあったからこそ、上毛かるたのトップバッターとしてこの札が詠まれたという説もあります。

【て】天下の義人 茂左衛門

  • Q. 茂左衛門(もざえもん)とは何をした人で、なぜ「天下の義人」と呼ばれているのですか?
  • 渡邉氏: 江戸時代、沼田藩主・真田伊賀守の過酷な年貢の取り立てに苦しむ領民を救うため、自らの命をなげうって五代将軍・徳川綱吉へ直訴(直に訴え出ること)した農民です。直訴によって悪政を行った真田氏は改易(お家断絶)となり領民は救われましたが、当時、直訴は重罪。茂左衛門は捕らえられ、磔(はりつけ)の刑に処されました。自分の命と引き換えに人々を救った彼を、のちに人々は「天下の義人」と讃え、現在はみなかみ町の千日堂に祀られています。

【と】利根は坂東 一の川

  • Q. 「坂東(ばんどう)一の川」とはどういう意味ですか?どれくらい特別な川なのですか?
  • 渡邉氏: 「坂東」とは関東地方の古い呼び名で、「関東で一番の川」という意味です。利根川は流れる長さ(流路延長)が約322kmで日本第2位、そして水をあつめる面積(流域面積)はなんと日本一を誇ります。新潟県境の大水上山を源流として、関東平野を堂々と貫くその姿は、古くから「坂東太郎」の異名で親しまれてきました。関東に暮らす人々の命の水を支える、まさに別格の川として札になっています。

■ な・に・ぬ・ね・の | 産業の革命と、AIの嘘(ハルシネーション)を撃退した群馬の名産

【な】中山道しのぶ 安中杉並木

  • Q. 「中山道(なかせんどう)しのぶ」とはどういう意味ですか?なぜ杉並木が札に?
  • 渡邉氏: かつての中山道が持っていた歴史の面影を「偲(しの)ぶ」という意味です。江戸と京都を結ぶ重要な街道だった中山道ですが、安中から松井田にかけて、当時は旅人に木陰を作るために700本以上の杉が植えられていました。時代を経て数は減ってしまいましたが、現在は国の天然記念物に指定され、江戸時代の旅情を今に伝える貴重な街道遺産として大切に残されています。

【に】日本で最初の 富岡製糸

  • Q. 何が「日本で最初」だったのですか?それまでと何が違ったのですか?
  • 渡邉氏: 「国が建てた(官営の)本格的な器械製糸工場」として日本初、という意味です。明治5年、政府は日本の近代化を急ぐため、フランスから技師のポール・ブリュナを招き、富岡に最新のフランス製機械を備えた大工場を建設しました。それまでの手作業から機械化されたことで、生糸の生産量と品質が劇的に向上。日本の近代産業の出発点であり、平成26年に世界遺産にも登録された、まさに日本の産業革命のシンボルです。

【ぬ】沼田城下の 塩原太助

  • Q. 塩原太助(しおばらたすけ)とは何者ですか?なぜ誰もが知る有名人に?
  • 渡邉氏: 江戸時代中期、沼田藩領(現在のみなかみ町)の農家に生まれ、裸一貫で江戸へ出て、持ち前の勤勉さと倹約で大富豪にのし上がった人物です。素晴らしいのは、彼が稼いだ巨万の富を、橋の架け替えや街道の整備といった公共事業へ惜しみなく寄付したこと。のちに講談(物語)となり全国で大人気になりました。戦前は小学校の教科書にも載っていたため、当時の日本人は全員が知っていたという、立身出世と社会貢献の手本となった偉人です。

【ね】ネギとこんにゃく 下仁田名産

  • Q. この2つは、なぜ下仁田の名産としてここまで有名になったのですか?
  • 渡邉氏: ちなみに、某生成AIでこの札を調べると『祢宜ヶ沢碑 すすきの名所』なんていう存在しないハルシネーション(AIの嘘)を堂々と出力してくるので気をつけてください(笑)。 下仁田ねぎもこんにゃくも、実は栽培が非常にデリケートです。雨は必要ですが水はけが悪いと根腐れし、こんにゃくは強い日差しに弱い一方で、寒すぎると病気になる。その点、下仁田は山に囲まれているため日照時間が適度に短く、山の斜面で水はけが抜群、かつ気温も下がりすぎないという、この2つの作物のために神様が作ったような奇跡の土地だったからこそ、唯一無二の名産地になりました。

【の】登る榛名の キャンプ村

  • Q. キャンプ村とはどんな場所だったのですか?なぜ札になるほど有名に?
  • 渡邉氏: 榛名湖畔にあるキャンプ村は、上毛かるたが作られた戦後間もない時期、子どもや家族が安価で大自然に触れ合える最高のレジャースポットでした。海抜1,100mの湖畔は夏でも涼しく、登山やボート遊びが楽しめる場所として大正時代から県立公園に指定されていました。物資が乏しかった戦後復興期、子どもたちに「自然の中で健全に、夢と希望を持って育ってほしい」という願いを込めて選ばれた、当時の憧れの場所です。

■ は・ひ・ふ・へ・ほ | 文化を彩るつつじの海と、時代に翻弄された偉人たちの本質

【は】花山公園 つつじの名所

  • Q. 花山(はなやま)公園は、なぜ44枚という限られた札に選ばれたのですか?
  • 渡邉氏: 花山公園(現在のつつじが岡公園・館林市)は、かつてのお城の跡地にある名園です。ここには樹齢800年を超える巨木を含む、約1万本ものつつじが春に咲き誇ります。その規模と歴史の深さは日本一級で、あの徳川綱吉も愛でたという記録が残っているほど。東毛地域(群馬東部)を代表する、他に類を見ない圧倒的な絶景スポットだからこそ、堂々のランクインを果たしました。今でもシーズン中は周辺で「つつじ渋滞」が起きるほど愛されています。

【ひ】白衣観音 慈悲の御手

  • Q. 白衣(びゃくえ)観音と呼ばれる理由は?「慈悲の御手」に込められた意味とは?
  • 渡邉氏: 白い衣をまとった観音菩薩のことで、その白衣は清らかさと深い慈悲の象徴です。高崎の観音山頂に立つ高さ41.8mのこの大観音は、昭和11年に地元の実業家・井上保三郎が私財を投じて建立しました。目的は、当時の高崎の発展と、戦没者の慰霊。前方にそっと差し伸べられた右手(慈悲の御手)は、苦しむ人々を優しく救い上げる観音様の慈愛を表現しており、今も高崎の街を静かに見守り続けています。

【ふ】分福茶釜の 茂林寺

  • Q. 分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)の伝説と、茂林寺(もりんじ)の結びつきとは?
  • 渡邉氏: 館林市にある茂林寺には、誰もが一度は聞いたことがある「タヌキが茶釜に化けた」昔話のモデルとなった伝説が伝わっています。室町時代、このお寺の守鶴(しゅかく)和尚が愛用していた茶釜は、いくらお湯を汲んでも中身がなくならない不思議な釜でした。実はその和尚の正体は、千年以上生きた古狸だった……というお話です。その茶釜は今も茂林寺の宝として大切に保管されており、参道にずらりと並ぶ21体のタヌキの信楽焼像が参拝客を楽しく迎えてくれます。

【へ】平和の使徒 新島襄

  • Q. 新島襄(にいじまじょう)とは何をした人で、なぜ「平和の使徒」と呼ばれるのですか?
  • 渡邉氏: 安中藩士の子として生まれ、幕幕末に命がけでアメリカへ密航、国禁を犯して苦学の末に大学を卒業した人物です。帰国後の明治8年、キリスト教の精神に基づき、京都に同志社英学校(現在の同志社大学)を創立しました。彼が生涯貫いたのは「自由と良心」の教育。武力や戦争ではなく、教育と対話によって世界をより良く変えようとしたその生き様が、戦後の混乱と傷跡が残る日本において「平和の使徒(つかい)」として讃えられ、札になりました。

【ほ】誇る文豪 田山花袋

  • Q. 田山花袋(たやまかたい)はどんな作品を残し、なぜ群馬の誇りとなったのですか?
  • 渡邉氏: 館林市出身で、明治から大正にかけて日本の文学界をリードした「自然主義文学」の第一人者です。彼の代表作『蒲団(ふとん)』は、中年男性が弟子である若い女性に抱く生々しい執着や葛藤を、包み隠さずリアルに描き出して当時の文壇に凄まじい衝撃を与えました。この作品が近代日本文学の新しい方向性を決定づけたと言われています。日本文学史に不滅の足跡を残した最高峰の文豪として、郷土の大きな誇りとなっています。

■ ま・み・む・め・も | 世界を席巻したシルクと、古代から続く奇跡の記憶

【ま】繭と生糸は 日本一

  • Q. 群馬が「繭(まゆ)と生糸(きいと)」で日本一になれた理由とは?
  • 渡邉氏: 群馬の気候や傾斜のある地形が、お蚕さんのエサとなる「桑」の栽培にぴったりで、江戸時代からすでに名産地でした。そこへ明治3年の前橋での日本初・器械製糸の開始、さらに明治5年の富岡製糸場の開業が重なり、技術力・生産量・品質のすべての項目で他県を圧倒。近代日本が外国からお金を稼ぐための最大の輸出拠点となりました。単に量が多いだけでなく、日本の近代化をバキバキに引っ張った「先駆者」としてのプライドが「日本一」のフレーズに込められています。

【み】水上谷川 スキーと登山

  • Q. この札には歴史的な人物が登場しませんが、選ばれた背景は?
  • 渡邉氏: 上毛かるたの多くは歴史や偉人を詠んでいますが、この札は制作当時の戦後に盛り上がりを見せていた「健全な野外スポーツ」の象徴として選ばれました。みなかみは素晴らしい温泉と利根川の源流に抱かれたウインタースポーツのメッカ、職人たちにとって本格的なロッククライミングや登山の「聖地」です。上越線が開通したことで全国からアクセスしやすくなり、群馬の大自然を五感で楽しむ最前線として札になりました。

【む】昔を語る 多胡の古碑

  • Q. 多胡碑(たごひ)とはいつ頃のもので、「昔を語る」とはどういう意味ですか?
  • 渡邉氏: 奈良時代の和銅4年(711年)、この地に「多胡郡」という新しい役所(郡)ができた記念に建てられた石碑です。日本に数多くある石碑の中でも歴史的価値が極めて高く、「日本三古碑」の一つに数えられます。「昔を語る」とは、1300年以上前の古代群馬(上毛野国)の政治や社会のリアルな姿を、文字を通じて現代の私たちに直接伝えてくれている、という意味です。高崎市内にある他の2つの碑(山上碑・金井沢碑)と合わせて「上野三碑(こうずけさんぴ)」と呼ばれ、平成29年にはユネスコ「世界の記憶」にも登録された世界基準の宝物です。

【め】銘仙織り出す 伊勢崎市

  • Q. 銘仙(めいせん)とは何ですか?なぜ街を象徴するほど有名に?
  • 渡邉氏: 明治後期から昭和初期にかけて、日本の女性たちの間で大流行した「おしゃれな普段着用の着物(絹織物)」のことです。特に伊勢崎銘仙は、それまでの伝統的な柄とは一線を画す、鮮やかで大胆なポップ・幾何学模様が特徴でした。桐生と並ぶ群馬の二大織物産地として全国を席巻し、当時の女性たちの日常をカラフルに彩った文化的影響力は絶大。庶民のファッションリーダーとしての伊勢崎の輝きを今に伝える札です。

【も】紅葉に映える 妙義山

  • Q. 妙義山(みょうぎさん)の「紅葉に映える」表現に隠された美しさとは?
  • 渡邉氏: 妙義山は、長年の風雨による侵食で削り出された、ゴツゴツとした奇岩怪石が連なる極めて険しい山です。大分県の耶馬溪などと並び「日本三奇勝」に数えられ、大正時代に国の名勝に指定されました。この山が「紅葉に映える」と言われる理由は、ゴツゴツとした荒々しい灰白色の岩肌と、秋に色づく燃えるような赤や黄色の紅葉が、他に類を見ない劇的なコントラスト(対比)を生み出すからです。その唯一無二のダイナミックな絶景をワンフレーズで見事に表現しています。

■ や・ゆ・よ・ら・り・る・れ・ろ・わ | GHQの検閲と戦った「赤い札」の真実と、世界に誇る天才たち

【や】耶馬溪しのぐ 吾妻峡

  • Q. 「耶馬溪(やばけい)しのぐ」とはどういう意味ですか?なぜ九州の地名がここに?
  • 渡邉氏: 「大分県の有名な景勝地・耶馬溪をも凌駕(りょうが)するほどの美しさだ!」という、群馬の誇りが爆発した表現です。実はこれ、明治時代の高名な地理学者・志賀重昂(しがしげたか)がこの地を訪れた際に放った「耶馬溪は素晴らしいが、吾妻峡はそれ以上だ」という大絶賛の言葉が元になっています。吾妻川の中流に広がる約4kmの渓谷は、新緑や紅葉、奇岩が織りなす見事な景色で、まさに「関東の耶馬溪」として他県に堂々と誇るためにこの言葉が使われました。

【ゆ】ゆかりは古し 貫前神社

  • Q. 「ゆかりは古し」の意味と、貫前(ぬきさき)神社の格式とは?
  • 渡邉氏: 「歴史や由緒がものすごく古い」という意味です。富岡市にある貫前神社は、今から約1500年前の安閑天皇元年(531年)創建と伝わる超古社。古代の群馬(上野国)で最も格式が高い「一之宮(いちのみや)」として崇められてきました。「貫前造り」と呼ばれる、門をくぐって階段を“下った”先に本殿がある独特の構造は国の重要文化財です。武道の神様と、群馬を支えた機織りの神様を祀り、古くから養蚕業の守護神としても信仰されてきた、群馬の精神的拠点のひとつです。

【よ】世のちり洗う 四万温泉

  • Q. 「世のちり」とは何ですか?それを洗う温泉の意味とは?
  • 渡邉氏: 「世のちり」とは、慌ただしい現実世界のストレスや、日々の生活で溜まった心と体の疲れ・汚れのことです。四万(しま)温泉は、その名の由来が「四万(よんまん)の病を治す霊泉」と伝わるほど圧倒的な湯治効果を誇り、昭和29年には日本の「国民保養温泉地第1号」に指定されました。豊かな大自然と静寂に包まれた温泉街で、お湯に浸かって日々のストレスを綺麗さっぱり洗い流し、心身ともに生まれ変わるような癒やしが得られる名湯であることを美しく詠んだ一枚です。

【ら】雷と空風 義理人情

  • Q. この札だけ毛色が違いますが、「自然」と「人情」にどんな関係があるのですか?
  • 渡邉氏: 夏の激しい雷、冬の厳しい強風「空っ風」という群馬の荒々しい自然と、そこに暮らす人々の「人情に厚く義理堅い県民性」を絶妙に並べた名作です。 実はこの札、絵札の裏が他の札と違って真っ赤に染められているのをご存知ですか? ここには上毛かるた制作当時、日本を統治していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)との激しい裏の攻防がありました。当時、GHQの厳しい検閲(ストップ)により、国定忠治や高山彦九郎といった「封建主義的・反逆的」とみなされた群馬の歴史的ヒーローたちを札に詠み込むことが許されませんでした。そこで先人たちは、GHQへの静かな怒りと抵抗を込め、彼らの生き様を「義理人情」という言葉に昇華させて潜り込ませ、札を赤く染め上げたと言われています。群馬の反骨精神が詰まった熱い札なんです。

【り】理想の電化に 電源群馬

  • Q. 「電源群馬」とはどういう意味ですか?なぜそう呼ばれたのですか?
  • 渡邉氏: 「群馬県こそが、首都圏全体のエネルギーを支える大供給源である」という意味です。群馬を流れる利根川水系は、激しい高低差のある地形と豊富な水量があるため、水力発電を行うのに世界一最適な環境でした。そのため、矢木沢ダムや下久保ダムなど数多くの巨大ダムが建設され、東京をはじめとする関東一円に大量の電気を送り届けてきました。戦後の日本の復興と近代化(理想の電化)を影で支えたのは、間違いなく群馬の電気であるという、日本の大黒柱としての誇りが詰まっています。

【る】ループで名高い 清水トンネル

  • Q. 「ループ」とはどういう意味ですか?何がそんなに凄かったのですか?
  • 渡邉氏: 線路をらせん階段のようにグルリと1回転させて、列車の苦手な急勾配(急な坂道)を克服する鉄道技術「ループ線」のことです。昭和6年に開通した清水トンネルは、当時日本一の長さを誇る鉄道トンネルでした。新潟との国境にある険しい谷川連峰をブチ抜くため、当時の日本の最先端土木技術を結集し、世界を驚かせた難工事の末に完成しました。川端康成の小説『雪国』のあまりにも有名な冒頭「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」のモデルになった、日本の鉄道史に輝く金字塔です。

【れ】歴史に名高い 新田義貞

  • Q. 新田義貞(にったよしただ)とは何をした人で、なぜ英雄として札に?
  • 渡邉氏: 鎌倉時代末期、現在の太田市(新田荘)に生まれ、日本の歴史の潮目を完全に変えた伝説の武将です。元弘3年(1333年)、生品(いくしな)神社でわずかな兵と共に挙兵すると、破竹の勢いで進軍して一気に鎌倉幕府を滅亡に追い込みました。その後、後醍醐天皇による新しい政治(建武の新政)のために戦いましたが、足利尊氏と対立し、最後は37歳の若さで戦死しました。卑怯な手を嫌い、義理堅く正々堂々と戦い抜いたその散り際が「武士の鑑(かがみ)」として語り継がれ、群馬が世界に誇る歴史的英雄として選ばれています。

【ろ】老農船津伝次平

  • Q. 「老農(ろうのう)」とはどういう意味ですか?船津伝次平は何をした人ですか?
  • 渡邉氏: 「老農」とは、長年の経験と独自の熱心な研究によって、素晴らしい農業技術を編み出した「農業の達人・指導者」への最上級の敬称です。天保4年(1833年)に現在の前橋市(富士見村)に生まれた船津伝次平(ふなつでんじへい)は、独学で農業の科学を極めた天才。その才能を見込まれて明治政府にスカウトされ、現在の東京大学農学部の前身となる学校で先生を務め、日本全国の近代農業の土台を築き上げました。「明治の三老農」の一人として、日本の“食”の近代化を救った大恩人です。

【わ】和算の大家 関孝和

  • Q. 「和算(わざん)の大家」とはどういう意味ですか?どれくらい凄かったのですか?
  • 渡邉氏: 「和算」とは、江戸時代の日本で独自に大発展を遂げた高度な数学のことで、「大家」はその世界最高峰のトップランナーという意味です。藤岡市にゆかりのある関孝和(せきたかかず)は、世界で初めて円周率や球の体積、さらに高度な「行列式」の解法などを、西洋の数学者たちとは全く別のルートで、しかも彼らより早く発見・発展させました。同時代の西洋の天才ニュートンやライプニッツと並び、「近世の世界三大数学者」の一人と称される、群馬が生んだ世界の歴史に名を残す超天才数学者です。

後編・編集後記

前後編にわたり、一般社団法人『KING OF JMK』の渡邉俊代表にお話を伺いました。

今回のインタビューを通じて強く感じたのは、上毛かるたとは単なる「郷土の知識を詰め込んだ44枚のカード」ではないということです。そこには、大災害や過酷な戦後復興、GHQによる検閲といった幾多の困難を、ユーモアと、知恵と、そして熱い「義理人情」で乗り越えてきた先人たちのリアルなメッセージが、1音1音に血肉となって通っています。

地元のタブー(呑龍様の呼び捨て厳禁!)を教えてくれる渡邉代表の語り口は、まさに現代に生きる群馬の「ストーリーテラー」そのものでした。

大人になった今だからこそ、もう一度その「意味」を噛み締めながら札を眺めてみる。すると、私たちが普段何気なく見ている群馬の山や川、街並みが、まったく新しい、鮮やかな歴史の舞台として見えてくるはずです。

お知らせ:【KING OF JMK】おとな達の上毛かるた世界一決定戦、エントリー開始!

インタビューで熱いかるた愛を語ってくださった渡邉代表が率いる『KING OF JMK』より、群馬県民、そして全国のかるたファン待望のビッグニュースです!

2026年7月5日(日)より、いよいよ「KING OF JMKおとな達の上毛かるた世界一決定戦」のエントリー受付がスタートします!

子供の頃に子ども会や学校で磨いたその腕前を、大人になった今、最高のステージで発揮してみませんか?
チームでの熱い挑戦はもちろん、観戦だけでも群馬の魂を肌で感じられる最高にエキサイティングな大会です。

大会の詳細やルール、エントリー方法については、下記の公式サイトをぜひチェックしてください!

🔗 KING OF JMKおとな達の上毛かるた世界一決定戦

群馬のDNAを揺さぶる熱いバトルへのご参加、お待ちしております!

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