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少林山達磨寺と「縁起だるま」の深い関係

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今回の取材に応じてくださったのは、
少林山達磨寺 副住職の廣瀬一真(ひろせ いっしん)様。

終始にこやかな表情で、難しくなりがちな歴史や信仰の話も、
まるで昔話を聞いているかのように、やさしく、噛み砕いて語ってくださいました。
その姿からは、だるま寺を「守る人」ではなく、
「人と寺をつなぐ人」としての在り方が自然と伝わってきます。

少林山達磨寺にとって、だるまとは何か

少林山達磨寺は、「縁起だるま発祥の寺」として知られています。
ここで語られる達磨とは、達磨大師そのものではなく、「縁起だるま」のことを指します。
高崎だるまの始まりは、少林山達磨寺九代目住職・東嶽(とうがく)和尚にさかのぼります。
もともとこの寺では、初代住職・東光新越禅師が、達磨大師の教えを象徴するように、一筆で達磨の姿を描いたお札を作り、正月に村人へ開運のお守りとして配っていました。

少林山は、達磨大師が現れたと伝わる寺であり、寺名そのものが「達磨寺」と呼ばれるほど、達磨信仰と深く結びついています。
そのため、達磨の姿をお札として描き、人々に授ける文化が自然に根付いていったのです。
やがて天明の大飢饉が起こり、浅間山の噴火により農業が立ち行かなくなります。
そこで九代目・東嶽和尚は、農家の生活を支える手段として、江戸で見聞きしていた張子だるまの作り方を村人に伝えました。
この時、だるまの木型を彫る際の元になったのが、初代住職が描いた「一筆だるま」の姿でした。

つまり高崎だるまは、

  • 達磨大師信仰
  • 寺のお札文化
  • 地域救済のための取り組み

これらが一体となって生まれた、寺と地域が共に育てた縁起物なのです。

他地域のだるまとの違い

全国各地にだるまはありますが、多くは工芸品として発展したものです。
一方、高崎のだるまは、寺が起点となり、信仰と生活の中から生まれた点が大きな特徴です。
少林山達磨寺と密接に結びつき、寺の祈りとともに広がっていった。
そこが、他地域のだるまと最も異なる点だといえるでしょう。

七草大祭だるま市に込められた意味
だるま市の原点は「七草大祭」
毎年1月に行われる「七草大祭だるま市」。
その起源は、少林山達磨寺の本尊の縁日である七草大祭にあります。
本尊は「北辰鎮宅霊尊(ほくしんちんたくれいそん)」という、北極星・北斗信仰に基づく星の仏さま。
古くから、午前2時、一番星が最も力を持つ時間にご利益が最大になるとされ、真夜中に行われる特別な祭りでした。
人々は6日の夜から集まり、午前2時を目指して参拝します。
多くの参拝者が集まるこの機会に、「ここでだるまを売れば、生活の足しになるのではないか」と考え、だるまが並ぶようになりました。
これが評判を呼び、やがて市となり、現在の「だるま市」へと発展していったのです。

復興と願いの象徴としてのだるま市

だるま市は、

  • 天明の大飢饉からの復興
  • 新しい年の始まり
  • 本尊への祈りと、だるまへの願い

これらが重なり合って生まれた場でした。
縁起の良い日に参拝し、縁起の良いだるまを迎える。
そして「この一年を良くしたい」という願いを込める。
この積み重ねが、だるま市を大きく育ててきたのです。
1月6日は、7日の午前2時に行われる七草大祭に向けた前夜祭。
そのため、だるま市は6日から始まる形となっています。

だるまの「目」に込められた本当の意味

目を「入れる」のではなく「開く」
達磨の目について、少林山達磨寺では「目を入れる」とは言いません。
「目を開く(開眼)」と表現します。
だるまの目は、もともと存在しているもの。
願いを込めて、その目を自分自身が開いていくのです。
寺では開眼祈願を行い、僧侶が最初の一点を開きます。
その後、自分自身で願いを込めながら目を開いていきます。
願いと努力を結ぶ存在
片目に願いを込め、だるまに見守られながら一年を過ごす。
努力し、悩み、対話するようにだるまを見つめ続ける。
一年後、結果がどうであれ、感謝の気持ちを込めてもう一方の目を開く。
それが、高崎だるまの大切な習わしです。

だるまは「願いを叶えてくれる存在」ではなく、
願いに向かって進む自分を見守る存在なのです。

情報ぐんま読者へ
〜少林山達磨寺からのメッセージ〜

少林山達磨寺は、縁起だるまの寺として知られていますが、
その根底には、北極星を信仰する本尊「北辰鎮宅霊尊」があります。
この本尊があるからこそ、だるまが生まれ、だるま市が育ってきました。
だるまを求めるだけでなく、ぜひその奥にある「祈りの場」としての寺の姿も知っていただけたらと思います。

上毛かるた「縁起だるまの少林山」に隠された意味

上毛かるたの絵札「縁起だるまの少林山」には、北斗七星が描かれています。
しかし、よく見ると星は6つしかありません。

最後の1つの星――
それは、「あなた自身」。

作者は、「あなた自身が星となり、道を照らす存在になってほしい」という願いを込めたと伝えられています。
達磨も、星も、信仰も、すべては自分自身がどう生きるかにつながっている。
少林山達磨寺は、そんなことを静かに教えてくれる場所です。

https://www.daruma.or.jp

少林山達磨寺のはじまり

室町時代末期、碓氷川南岸の鼻高村の高台には、
行基菩薩が彫ったと伝わる厄除・子授け・縁結びの観音様を祀る小さな観音堂がありました。
延宝年間、大雨による碓氷川の氾濫の後、村人が川中で黒光りする香り高い古木を見つけ、
霊木として観音堂に安置すると、紫の霞が立ちのぼったと伝えられています。
同じ頃、行者・一了居士の夢枕に達磨大師が現れ、「鼻高にある木で私の像を彫れ」と告げました。
延宝八年(1680)、一了居士はその霊木で、身を清め一彫りごとに礼拝を行う「一刀三礼」により、達磨大師坐禅像を彫り上げます。
この像は評判となり、地は次第に「達磨出現の霊地・少林山」と呼ばれるようになりました。
元禄十年(1697)、厩橋城主・酒井忠挙公により、東皐心越禅師を開山として少林山達磨寺が創建されます。
享保十一年(1726)には水戸徳川家より三葉葵の紋を賜り、永世の祈願所として今日に至っています。

編集後記】

少林山達磨寺の歴史をたどると、だるまは単なる縁起物ではなく、
人々の祈りと生きる覚悟から生まれた存在であることが見えてきます。
災いの中で見つかった霊木、夢のお告げ、そして一刀一礼の彫刻。
その一つひとつが重なり、今も多くの人が願いを託す場所となっています。
だるまに向き合うことは、願いに向き合うこと。
そして一年をどう生きるかを、自分に問いかける時間なのかもしれません。
新しい年の始まりに、
その原点に触れてみてはいかがでしょうか。

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